信長・家康vs勝頼「長篠・設楽原の戦い」ゆかりの地をめぐる
織田信長・徳川家康と武田勝頼が激突した長篠・設楽原の戦いの舞台、家康の家老・酒井忠次ゆかりの城、社をめぐるコース。東三河エリアを中心に日帰りでめぐることができます。
龍城神社
岡崎城の隣に鎮座する神社です。家康公生誕の朝、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという伝説が残るパワースポットです。龍の井は、龍神があわられこの井戸の水が噴出し龍神に注いだと伝えられており、出世、開運、安産、厄除けのご加護があります。
岡崎公園(岡崎城、産湯の井戸、えな塚)
岡崎公園は、徳川家康公が生誕した岡崎城を中心とした歴史公園です。
白亜の天守閣を囲んで乙川、伊賀川沿いに咲き誇る春の桜は見事で「日本さくら名所100 選」にも選ばれているほど。
桜まつりの時季には多くの人が訪れ、メインイベントの家康行列や、夜桜のライトアップを楽しめます。
天恩寺
1575年、家康公が長篠城へ向かう際に天恩寺で一泊した翌日、大杉の下まで来た時に延命地蔵に呼び止められ、大杉の影から矢を射る敵から寸前で身を守ったという逸話があります。家康公は延命地蔵へ礼拝し、何度も大杉を見返りながら長篠へ向かったそうです。
織田信長本陣跡
織田信長が設楽原の決戦に備え、上平井の極楽寺からこの茶臼山に本陣を移した。全国でも珍しい信長が心境を詠んだ歌碑がある。
「きつねなく 声もうれしくきこゆなり 松風清き 茶臼山かね」
新城市設楽原歴史資料館
館内にある5つに分けられたコーナーでは、長篠・設楽原の戦いにまつわるコーナーとして、「設楽原の戦い」、「火縄銃」、「火おんどり」のコーナーがあります。新城の歴史と将来に思いを馳せてみてください。
長篠城址
永正5年(1508年)に菅沼元成によって築かれ、豊川と宇連川の合流点に位置し、北方に人工の塀と土塁を置いた堅固な造りとなっていた。1575年、武田の大軍を迎えて、城主・奥平貞昌以下500の城兵がこの城を守って奮戦、設楽原での織田・徳川連合軍勝利のきっかけを作った。
吉田城址
東三河の要衝として、戦国時代には牧野氏と戸田氏による激しい争奪戦が繰り広げられた。家康は東三河統治のために重臣の酒井忠次を配し、秀吉は家康に対する東海道の抑えとして池田輝政を城主とした。また、織田信長は武田氏を滅ぼした後に立ち寄り酒宴を行った。市街地にありながら三の丸や外堀などに江戸時代の土塁があり、一部には戦国時代の遺構も残存している。現存する安土桃山時代の野面積み高石垣は全国屈指の規模を誇る
安久美神戸神明社
家康公は13歳の時に当社に参詣され、社頭の松の根元に腰を掛けて鬼祭をご覧になりました。征夷大将軍に任じられたのち、京都伏見城に宮司を呼び鬼祭の思い出をお話しになり、寺領・太刀・盃をご寄進されました。
吉田神社
今川義元や徳川家康から寄進を受けた古社。例祭「豊橋祇園祭」が有名。文献によれば永禄元年(1558)今川義元の吉田城代、大原備前守の吉田神社への奉納に始まるとあり、これが「手筒花火発祥之地」の所以です。