二つの川が合流する切り立った崖の上にたつ堅固な城
一五〇八年、築城。一五七五年には徳川方の奥平貞昌(信昌)が城主となる。「長篠の戦い」のとき、城内にいた兵はわずか五百。対する武田は一万五千で城を包囲したが、城を脱出し援軍を要請した足軽・鳥居強右衛門の活躍もあり、織田・徳川の援軍到着まで見事に耐え抜いた。
城の南にある牛渕橋から見ると、自然の地形をうまく利用した城だということがよくわかる。本丸には見事な堀と土塁が残り、見応えがある。かつての二の丸には長篠城址史跡保存館がたち、合戦の様子を伝えている。