若かりし家康が兵糧を運んだことでも知られる城
城の二の丸からは、丸根砦と鷲津砦が見える。信長は、対今川の最前線に両砦を築くことで兵糧攻めを計画したとされる。城から砦までの距離は約八百メートル。実際、目の当たりにすると、その近さに驚く。今川軍の危機を救ったのは、当時まだ今川家の人質だった松平元康(徳川家康)だ。合戦前夜に兵糧を大高城へと運び、翌朝には丸根砦を落とした。しかし、義元は桶狭間で討死。今川軍は敗北した。
城跡は公園として整備されており、見やすい。本丸の北斜面は高さ約八メートルの切岸となっているほか、二の丸と三の丸の間には横堀があり、幅、深さ共に十分で見応えがある。