革命児・信長が自ら築いた初めての城
「桶狭間の戦い」に勝利し尾張統一を果たした信長は、美濃攻略を目論み、その拠点として、広大な濃尾平野の北東部に位置する小牧山に城を築いた。山麓の曲輪には信長の屋敷、その周りには重臣の屋敷があったとされ、城の南側には城下町が整備された。また近年の発掘調査により、山頂には三段の石垣が巡っていたことがわかっている。この石垣を採用した革新的な城づくりは近世城郭の原点とも言われ、のちに信長が築く安土城へ引き継がれてい
く。城は築城から四年後、信長が岐阜に城を移したことにより廃城となった。
近年の発掘調査では新たな事実が続々と見つかっており、小牧山城における信長の革新的な築城技術が注目を集めている。山頂には天守を模した展示施設「小牧山歴史館」があり、麓には小牧山城に関する歴史や発掘調査の成果を知ることができる「れきしるこまき」がある。
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信長の城を大改修した家康の本陣
家康は榊原康政に命じて小牧山に曲輪・土塁・空堀・虎口を配し、秀吉軍に備えた。信長時代の城を利用したとは言え、その改修がわずか五日で行われたとされる点も興味深い。「小牧・長久手の戦い」で、小牧山城が戦場となることはなく、また江戸時代には家康ゆかりの陣跡として尾張藩によって保護され一般の立ち入りが禁止されたこともあり、遺構がよく残る。