信長vs義元・家康「桶狭間の戦い」ゆかりの地をめぐる

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織田信長が今川義元を打ち破った桶狭間の戦いゆかりの地をめぐるコース。尾張エリアを中心に日帰りでめぐることができます。

清洲城

清洲城を舞台に織田信長公と徳川家康公の攻守同盟が結ばれました。いわゆる「清須同盟」です。両雄はこの同盟を足がかりに、戦国の荒波の中へと漕ぎ出しました。両雄が若い肖像のままの街清須へぜひお越しください。

大高城跡

桶狭間の戦いの時、大高城は今川の鵜殿長照が守り、松平元康(徳川家康)の兵糧入れは有名である。 その後、元康は故郷の岡崎に帰り大高城は廃城になった。丸根・鷲津砦と合わせ国の史跡に指定されている。現在は大高城跡公園として市民に親しまれ、公園内では、堀や土橋などの痕跡を見ることができる。この他、江戸・明治期から続く酒造の蔵元が3軒残っており、いずれも徒歩5分圏内に密集している珍しい地域である。

桶狭間古戦場公園

この一帯は桶狭間の戦いの中心地であり、おけはざま山の本陣から追われた今川義元の最期の地と言われ、現在は公園として整備。園内中央には織田信長と今川義元の銅像を配し、他に今川義元の墓碑、義元馬つなぎの杜松、義元首洗いの泉、漢詩碑、合戦の解説板などある。また、公園全体が桶狭間の戦い全体を俯瞰できるジオラマになっており、ARマーカーをかざすと7つの合戦の動画を見ることができる桶狭間の戦いの中心的な史跡。公園周辺にも関連史跡あり。

桶狭間古戦場伝説地

永禄三年(1560年)5月19日。「桶狭間の戦い」の舞台となった地。二万五千もの大軍で尾張に攻め込む今川軍を、わずか三千の織田軍が本陣強襲され今川義元が討たれる大波乱。
当時、今川義元の家臣であった「松平元康」は、今川義元の悲報を受け、岡崎城へ退却する。その後今川から独立して「徳川家康」へ改名した。徳川家康にとって、「桶狭間の戦い」は、人生最大の大きな転機であった。