家康母・於大の方ゆかりの地をめぐる

知多エリア 西三河エリア 刈谷城跡 緒川城址 坂部城址 日帰り 於大の方

徳川家康生母・於大の方ゆかりの地をめぐるコース。知多エリアを中心に日帰りでめぐることができます。

楞厳寺

曹洞宗。応永20年(1413)遠州浜松普済寺の利山(りざん)義(ぎ)聡(そう)により開山した。第7世古堂(こどう)周(しゅう)鑑(かん)のとき刈谷城主水野家の菩提寺となった。徳川家康の生母於大(伝通院)は、岡崎城主松平広忠に離縁され刈谷に戻った後、たびたび当寺に参詣したと伝わる。伝通院ゆかりの品を所蔵し、境内の「水野家廟所」は市指定史跡。

椎の木屋敷跡

徳川家康生母・於大が、松平広忠と離縁された後、一時を過ごした屋敷。刈谷城から谷を一つ隔てた丘の上に位置する。於大は、家督を継いだ兄信元が織田氏と手を組んだことから離縁させられ、刈谷に戻されることとなった。この後、於大は信元の薦めで阿久比の久松俊勝に再嫁し、3男を儲けている。

刈谷城跡

父水野忠政によって築かれた城で、桶狭間の戦いの後、信元の居城となった。信元は家康の伯父で、織田―松平氏の同盟や、三河一向一揆における本願寺勢力との和睦の架け橋となり、徳川家中に対しても影響力を持った人物。城跡は公園として整備されている。遺構はほとんど残っていないが、堀の一部が池になっているほか、本丸周辺の土塀などが残る。

於大公園

徳川家康の生母「於大の方」が、東浦町の緒川城主水野忠正の娘として生まれ、その水野家の菩提寺である乾坤院に隣接することから於大公園と名付けられた。 緑豊かな園内は、花や野鳥、昆虫の多くみられる場所として市民に親しまれている。 薬木約100種類、薬草約60種類を植栽している薬木薬草園、絶滅危惧種のオニバスを栽培するオニバス池、しだれ梅、桜、花菖蒲など、四季折々の変化が楽しめ、マレットゴルフ場、バーベキュー広場、おもしろサイクル広場も人気。

宇宙山乾坤院

文明7年(1475)、水野貞守が一族の菩提寺として創建した。 寺宝の正法眼蔵写本(15冊)、弁財天像、諸尊集会図は県指定文化財となっている。 境内には水野忠政と忠守・忠元・忠善、水野家四代の墓があり、町指定文化財となっている。

緒川城址

水野貞守が文明年間(1469~87)に築城したと伝えられ、忠政や信元ら水野氏の居城となっていた。 城址内に、徳川家康の生母傳通院於大出生地の碑が建っており、緒川の比高8mの台地に築かれている。 絵図によれば主郭は東西83m、南北95mの平城であり、その周囲に曲輪群がある。 現在は、主郭の北西部の土塁が残されている。

坂部城址

徳川家康の生母・於大の方が、城主・久松俊勝と再婚し、15年間暮らした城。その間、熱田や駿府で人質の身であった家康に、励ましの手紙や衣類を送り続け、後に家康の運命や人間形成に大きな影響を与えたと言われています。
また、桶狭間の戦いを控えた永禄3年(1560)年5月17日、於大の方と家康(当時、松平元康)はこの地で母子16年ぶりの感激の再会を果たしたと伝えられています。その後、坂部城は天正5年(1577年)に織田信長の家臣、佐久間信盛の手勢により攻められ、落城炎上しました。
現在は、城山公園となっており、石碑には、久松家先祖からの苦労を刻み伝えています。