美濃路は、東海道の熱田宿(宮)と中山道の垂井宿を結んだ東海道の脇街道。宿場は名古屋、清須、稲葉、萩原、起、墨俣、大垣の七宿が置かれた。江戸幕府の規定によれば、各宿には中山道と同じく50人・50疋の人馬が置かれ、五街道に次ぐ重要な街道とされた。このうち名古屋宿は特殊な宿場だった。本陣、脇本陣、旅籠はなく将軍や朝鮮通信使らの休泊を担った(*1)。
また名古屋宿の札の辻は、美濃路をはじめ、岡崎に至る駿河街道(*2)、中山道伏見宿に通じる木曽街道、中山道大井宿に通じる下街道など各街道の起点であった。
*1参勤交代の諸大名は名古屋宿を通過させ、一般の旅人は宿場に近い玉屋町(名古屋市中区)の旅籠を利用した。
*2 明治以降は飯田街道。