画像所蔵先
豊臣秀吉画像(名古屋市秀吉清正記念館蔵)、加藤清正画像(名古屋市秀吉清正記念館蔵)、福島正則画像[複製](あま市美和歴史民俗資料館蔵)、池田輝政画像(鳥取県立博物館蔵)、山内一豊画像(高知県立高知城歴史博物館蔵)、堀尾吉晴画像(「新撰太閤記」/あま市美和歴史民俗資料館蔵)
愛知の
武将・姫
豊臣家
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豊臣秀吉
1537~1598
尾張国愛知郡中村生まれ(愛知県名古屋市中村区)。貧農の出だが、諸国を流浪し信長に仕える。信長の美濃攻めを機に出世を果たす。信長死後ライバルを退け、1585年に朝廷から関白に任じられる。1580年、諸国の大名を従え天下を統一する。
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加藤清正
1562~1611
尾張国愛知郡中村生まれ(愛知県名古屋市中村区)。秀吉の縁者として少年の頃より秀吉に仕える。秀吉没後に家康に接近。関ヶ原の戦いの際は、九州で家康方として戦う。築城の名手と称され熊本城の他、名古屋城天守台石垣を築いた。
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福島正則
1561~1624
尾張国海東郡二寺村生まれ(愛知県あま市)。秀吉の縁者として少年の頃より秀吉に仕える。秀吉没後に家康に接近。関ヶ原の戦いでは家康方として活躍。戦後は安芸国(広島県)広島城主に抜擢。名古屋城築城の折、堀川開削奉行として工事を指揮した。
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池田輝政
1564~1613
尾張国清須生まれ(愛知県清須市)。小牧・長久手の戦いで父と兄を失う。秀吉の天下統一後、吉田城主(愛知県豊橋市)に抜擢。秀吉の命で家康二女・督姫を娶る。関ヶ原の戦いでは家康方として活躍。戦後、播磨国(兵庫県)を与えられ姫路城を築く。
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山内一豊
1545~1605
尾張国黒田城(愛知県一宮市)または岩倉生まれ(愛知県岩倉市)。主家の岩倉織田家が信長に滅ぼされ流浪の後、秀吉に仕える。秀吉没後に家康に接近。関ヶ原の戦いで功績をあげ、戦後は土佐一国を与えられ高知城を築いた。
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堀尾吉晴
1543~1611
尾張国丹羽郡御供所村生まれ(愛知県大口町)。秀吉に仕え、小田原攻め等で功績。秀吉没後に家康に接近。関ヶ原の戦いの直前に刺客に襲われ重傷を負う。関ヶ原の戦いでは子の忠氏が参戦。戦後は出雲国(島根県)を与えられ松江城を築いた。