吉原宿

よしわらしゅく

吉原宿は江戸日本橋から数えて14番目の宿場町。吉原宿は江戸時代初期の津波被害で二度所替えし、天和2年(1682)に現在地に移転した。東から西へ海沿いを通っていた東海道は吉原宿の手前で内陸部に入る。それまで右手に見えていた富士山が左に見えることから「左富士」と呼ばれた。歌川広重の浮世絵にも描かれている。宿場の中心は商店街に変貌したが、天和2年に創業した鯛屋旅館が今なお営業を続けている。