坂下宿

さかしたしゅく

坂下宿は江戸日本橋から数えて48番目の宿場町。坂下宿は鈴鹿峠の麓に位置し、その名もその立地に由来している。江戸時代には、鈴鹿峠を往来する多くの人々でにぎわった。東海道難所のひとつである鈴鹿峠を控えて参勤交代の大名家などの宿泊も多く、江戸時代後半には本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠48軒を数え東海道有数の宿にあげられた。関西鉄道の開通による通行者の激減とともに宿場としての役割を終え、また、道路拡幅によって往時の景観は失われたが、石造物などにかつての面影を留めている。