岩略寺城跡は東西三河の境目に位置し、戦略上重要な山城であった。永禄4年(1561年)に松平元康(後の家康)が長沢の城を落とすと、深溝の松平伊忠を城番に命じて松平氏の東三河侵攻の拠点とした。
岩略寺城跡
がんりゃくじじょうあと
所在地 |
〒441-0203 愛知県豊川市長沢町
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がんりゃくじじょうあと
岩略寺城跡は東西三河の境目に位置し、戦略上重要な山城であった。永禄4年(1561年)に松平元康(後の家康)が長沢の城を落とすと、深溝の松平伊忠を城番に命じて松平氏の東三河侵攻の拠点とした。
所在地 |
〒441-0203 愛知県豊川市長沢町
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