舞坂宿

まいさかしゅく

舞坂宿は江戸日本橋から数えて30番目の宿場町。浜名湖はかつては内陸部にあった淡水湖だったが、室町時代の大地震で陸地部分が切れ、外海とつながった。そのためこの辺りを「今切」と呼ばれた。舞坂宿は、今切の渡船場として旅人たちでにぎわった。湖岸には雁木が3ヶ所あったがそのうち大名や幕府要人が使った北雁木が現存している他、天保9年(1838)に建てられた脇本陣建物や宿場の入り口に設けられた見付(附)石垣も残る。