かつて名古屋から信州伊那地方に向かった道はいくつも存在し、飯田街道と呼ばれた道は複数あった(*1)。
このうち平針(名古屋市天白区)から足助、武節、稲橋(いずれも豊田市)を経て信州飯田に向かった伊那街道が、明治9年(1876)に正式に県道飯田街道に指定。その後名古屋~平針間の駿河街道(*2)が含まれ、現在、名古屋・飯田間の道路名としてすっかり定着している。
駿河街道は、豊臣方との決戦を控えた徳川家康が名古屋と岡崎を最短で結ぶ道として拓かせた道。名古屋城下に入る街道入口には寺院を計画的に移転させた”東寺町”(名古屋市東区、中区)がつくられた。戦災や都市再開発等で移転や縮小したものの今日も多くの寺院が存在している。
*1瀬戸街道や高針街道にも信州飯田街道の呼称があった。
*2 名古屋城下の駿河町(名古屋市東区東桜)~平針(名古屋市天白区)~堤(豊田市)を経て東海道の宇頭(岡崎市)に至る道。岡崎街道とも呼ばれた。