二川宿は江戸日本橋から数えて33番目の宿場町。
当初は二川村と大岩村の二つの村で一宿分の役をはたしていたが、交通量の増大による不都合から移転し一続きの町となった。現在でも江戸時代の町割りがほぼ残る中、東海道で2か所しか現存しない本陣(*)、庶民の宿であった旅籠、さらに宿村役人の店舗兼住居(商家)が公開されている。
また住民・行政・大学の協働により一般の住居や店舗も歴史的な町並みに調和するよう工夫がなされ、切妻平入の軒が並ぶ宿場町らしい景観が見られる。
*【ほんじん】公家や大名ら貴人、幕府の役人が旅の途中宿泊、休息した施設。