愛知の食文化と秀長・秀吉兄弟
「ひでながくん・ひでよしくんドライブマップ」掲載コラムより
尾張中村(名古屋市中村区)の百姓の子から天下人に上り詰めた豊臣秀吉。同じく兄秀吉を支え、天下統一事業の実現に貢献した弟秀長。秀吉や秀長はどんな食事を好んだのだろう。残念ながら二人とも青年期までの行動には謎も多く、どんな食を好んだか、特に秀長に関してはまったく伝わっていない。しかし兄秀吉は天下人になってからは豪華な食事も楽しんだ一方、普段は粗食を好み、特にごぼうと大根を好んでいたというエピソードが伝わる。年始には中村の百姓からごぼうと大根を献上させ、故郷を思い出しながら食していたとのこと。
秀長・秀吉兄弟の故郷中村を含む名古屋西部以西は、木曽川や庄内川の堆積土砂によってできた沖積平野にあたる。水はけの良い豊かな大地は根菜を育むのに適し、江戸期には宮重大根や方領大根の名を世に知らしめた。これらは現在「あいちの伝統野菜」に認定され、地域の特産品として生産が続いている。
愛知をはじめとした東海地方は古くから豆味噌(赤味噌)文化圏として他地域とは異なる食文化が花開いていた。豆味噌は大豆と塩だけでつくられ、長期熟成によって仕込まれているので、うまみ成分=グルタミン酸が多く、栄養価も高い。戦国時代、秀吉だけでなく弟秀長、信長、家康、さらに配下の尾張、三河の武士たちも豆味噌で育ち、炙った焼き味噌を兵糧として戦場に携帯した。秀吉は、麦飯に豆味噌を塗った握り飯を好んだという伝承も伝えられる。驚異的な行軍でライバルを圧倒した秀吉軍の強さの秘密には、豆味噌パワーがあったのかもしれない。

カクキュー八丁味噌 味噌蔵
豆味噌の伝統製法を伝えるカクキューの味噌蔵。巨大な木桶が整然と並ぶ。(写真提供/岡崎市)
カクキュー八丁味噌 史料館
明治40年(1907)に建てられた蔵を史料館として公開。
館内では昔ながらの味噌づくりの様子を等身大の人形で再現。(写真提供/岡崎市)
まるや八丁味噌 味噌蔵
豆味噌の伝統製法を伝えるまるやの味噌蔵。
豆麹を仕込んだ木桶の上に3トンの石を積み上げ、二夏二冬の期間熟成させる。
日吉丸石投の井戸
敷地内には日吉丸時代の秀吉の逸話を伝える井戸が残る。
※TOP画像
画像左:豊臣秀吉画像(名古屋市秀吉清正記念館蔵)
画像右:豊臣秀長画像(春岳院蔵)


