国特別史跡-名古屋城

クリス グレン(お城好きラジオDJ)

金鯱輝く、東海道鎮護の巨城

名古屋城は「関ケ原の戦い」で勝利をおさめた徳川家康が、大坂に残る豊臣家に対する備えのために築いた城である。徳川と豊臣の決戦「大坂冬の陣・夏の陣」の際、徳川軍はここ 名古屋城から出陣した。

加藤清正、黒田長政、池田輝政など、歴史に詳しくない人でも一度は耳にしたことがある武将たちが、この城の築城に携わっている。中でも特に注目されるのは清正だ。城内には銅像のほか「清正石」という名の巨石もあり「名古屋城は清正の城だ。」と誤解している人さえいるほどである。しかし実際に清正が携わったのは大、小の天守台だ。清正は、それをわずか3ヶ月で築いた。この事実を知れば、見方も変わるだろう。

名古屋城は、延べ床面積日本一を誇る天守とそこに輝く「金のしゃちほこ」にばかり注目が集まるが、昭和20年(1945)の戦火を逃れ現存する三基の櫓にもぜひ注目したい。その規模は他の城の天守にも匹敵するほどであり、内部に入れば400年の歴史を体感することができる。シンプルかつ堅固な縄張を意識しながら城内を歩く、史実に忠実に復元された本丸御殿をまるで美術館を愉しむように味わうなどすれば、さらにこの城は楽しくなる。

近世城郭の最高峰と称される名古屋城はまさに、城の歴史の集大成が見られる城郭だ。愛知・名古屋に住む者として、家康が築いたこの城を誇りに思う。

 

本丸東二之門の正面にある清正石。
重さ推定10トンとされるこの石を清正が運んだという伝承があるが、実際にこのエリアを担当したのは黒田長政だった。

徳川家康の命により名古屋城の築城には20名の大名が携わった。 城内の石垣には、その証ともいえる多様な刻印が見られる。

清正が得意とした「扇の勾配」と呼ばれる天守台。
東北隅北面には「加藤肥後守内小代下総」と書かれた刻印がある。

江戸時代から現存する三階櫓の中では、全国で2番目の大きさを誇る西北隅櫓(重要文化財)。
櫓を囲む幅広の水堀も見どころの一つ。

方形のシンプルな縄張、各曲輪を囲む堀などがよくわかる。
〈元禄拾年御城絵図(名古屋市蓬左文庫提供)〉

江戸時代の図面や昭和前期に作成された実測図、最後の尾張藩主・徳川慶勝が撮影した古写真などの史料を使って復元された本丸御殿の表書院・上段之間。〈データ提供:名古屋城総合事務所〉

 

文・写真

クリス グレン

お城好きラジオDJ

オーストラリア生まれ、名古屋市在住。趣味は城めぐり。日本全国約500ヶ所の城を訪れた。著書に「豪州人歴史愛好家、名城を行く」、英文執筆に「城バイリンガルガイド」がある。

関連スポット

  • 名古屋城

    名古屋エリア 愛知の武将・姫 松平・徳川家 徳川家康 加藤清正 お城